指導霊の指導例

「事象の地平線」 さんの「別の意味で期待」にTOSSの機関誌「教室ツーウェイ5月号」に「斉藤一人さんのいう「指導霊」はきっといる/野々村由美」という記事があるとの事なので見てみた。

(K2 はTOSSが「波動」に絡んだ話については批判するが、別にTOSSウォッチャーと言うわけではない。)



教師である野々村さんの話はだいたいこんな感じだ。



「自分は教育に悩んで教師を辞めようと思ってた時期がある。しかし、辞めるならその前に精一杯力を入れてそれから辞めようと思った。今まではTOSSなどの教育資料を見たことは無かったが見るようにした。ある有名な人物の話を聞きたいと思ったがなかなか機会が無い。そんな時、たまたま電車の自分が座った席の向かいの席にその人が座り、話を聞くことができた。そして現在の自分がある。これは斉藤一人さんの言う「指導霊」の導きに違いない。」



といったものだ。

(細かくは本屋で立ち読みでもしてください。手元に無いから微妙に間違っているかも?)





え〜、どこにも「指導霊」と言う超常的な存在が実在していて絡んでるというところが無いように思うのですが。

もし、「指導霊」と言う言葉を超常的な話では無く、「物事を進めるにはとにかく一生懸命やれ!そうすれば道は開ける。」と言ってるならその通り書いてもらいたいものだ。



「一生懸命やってると「指導霊」と言う超常的なサポートが付く、そして物事が上手く進む。」と言ってるなら、その理屈でいけば一生懸命であれば教育システムが無くてもなぜか次々と正しい知識をたくさん得る機会が訪れて教師の教えなど必要も無い、ということになると思うのだが。

(教育のサポートもある程度必要だし、「指導霊」のサポートも必要、という事だろうが、そんな「割合」の話も結局思い込みでしかない。)



一生懸命だが上手く物事が進まない人は、「一生懸命のつもり」でホントはまだまだ一生懸命でなくて「指導霊」のサポートが受けられていない、ということでしょうか。

様々なしがらみの中で葛藤・妥協し、大部分は不十分・不満足な行動しか取れない人間と違って比較的奔放に一生懸命さを素直に出せて生きているであろう地球上の他の生物のために「指導霊」は忙しくて順番待ちなのでしょうか。



「薄暗い中、風で柳が揺れるのを見て幽霊だと思った。」なんて話と野々村さんの解釈は同程度だと思う。

こんな考え方をしてる時点で「指導霊」なんて超常的な存在が野々村さんをサポートしてない事が明白なのだが、教育人生の途中で一生懸命さを無くされてサポートを受けられなくなっているのでしょうかねぇ。

早い時期に教師を辞めていた方が生徒のためにも良かったのでは?





まぁ、教師個人の「信仰」や「妄想」は正直どうでもいいのだが、これを記事として載せるTOSSの監修はどうなってるんだろうね〜?

あんたらやりたい放題かい?



道を外れまくってると思うから一生懸命になって「指導霊」に指導してもらってください。