パラノイアに疲れる人

パラノイアに憑かれた人々」という本を読んでいる。

ヒトラーの脳との対話」「蟲の群れが襲ってくる」という上下巻に別れている。



人工衛星が個人(自分)を監視している、歯に盗聴器が仕掛けられている、蟲が身体を食い尽くそうとしている、などなど専門家である著者が出会った11の症例を小説のような運びで紹介していく。

(奇妙で不思議な話の小説としては面白いが、パラノイアの解説として見ると物足りないかもしれない。)



「このようなパラノイアの症状は、ちょっとした疑念や不信感に始まり、ひどい錯覚や一貫した内容を持つ妄想へとしだいに進行してゆくのがふつうだ。」

「通常は、ゆっくり少しずつ、日々の生活が疑念で満たされてゆく。その疑念は、幻視や幻聴によって「裏づけ」られていゆく。」

「パラノイドは疑惑の正体を確認する手がかりを得ようとして、あらゆる物を調べる。そのためには、緻密さと集中力が必要となる。ほんのささいなことにも細心の注意を払い、神経過敏にならなくてはならない。つまらないことに飛びつき、過大評価し、独自の論理体系のパターンに組み込むのだ。そして、そのパターンの信頼度が堕ちないように、自分の周囲を入念に調べながら、たえず修正を加える。こうしてパラノイドはしだいに柔軟性を失い融通がきかなくなる。」

「猜疑心と敵対心が、空想のお膳立てをする。こうして、パラノイドの思考様式の三つ目の特徴である「投影」が力を得て、大奇術師と呼ぶに値する心のトリックを使う。投影は無意識の自己防衛メカニズムであり、感情的に受け入れられない刺激や緊張を拒絶し、それを他者に投影する。あるいはなすりつけることである。」






まるっきり同じかどうかは判断できないが、「現代科学は不完全だし分からない事がある。」と妙に敵対的に引き合いに出し、現代科学の力を貶める割りには時として「一部の学者には理解されはじめてる」と言うように都合の良く科学を持ち上げる「オカルト」系に共通する部分があるように感じる。



実際は、オカルト系には本当のパラノイアな人もいれば、商売として装っている人もいるのだろう。

管理人のニューエイジ系の知り合いには「世界は空想でできてる。自分もあなたも空想の産物だ。」という感じの事を話してる時があるから、パラノイアな人なのだろう。(攻撃的な人ではないから物理的には無害かな。)

別の知り合いは、オカルト系を信じてた幼い頃、「光の玉が飛んできて目の前でクルクル回るが見えたよ。でも、あれは幻だね。あんまり信じ込んでハマってはダメだと思ったよ。」と言っていた。

以前、確かフジテレビの「笑っていいとも」の友達の輪(今もこのコーナー名だっけ?)で出演したゲストが「精神的におかしい時があって、その時は部屋の壁のスキーをしているポスターを見てるとポスターの中のスキーヤーが滑ってくるが見えた」と言っていた。



パラノイアの根は誰もが持っている。」



自分の中にもそれはあるのだろう。例えパラノイア的な感覚があったとしても金銭や物理的な行為にならないよう気をつけたいものだ。

パラノイア的な人と話をするのは、根拠の無い荒唐無稽な話をする、論理的に進むかと思えば突然ぶっ飛ぶ、自分の話の矛盾を認めない、話題をすり替える、などなどと始めは面白のだが、ひじょ〜〜に疲れる。)

そして「波動」に代表されるようなオカルト系は、信じる人だけを商売にしててください。「まともな人」をパラノイアの世界に引き込まないように。





パラノイアに憑かれた人々

上巻「 ヒトラーの脳との対話」



下巻「蟲の群れが襲ってくる」