ご飯に声かけ実験
実験する前に少し調べてみよう。
「水への愛と感謝プロジェクト」のFAQを見てみた。
(問) 人の想いって結晶の形とどう関係があるのですか?
(答) 人の想いも波動を持っているので、その波動が結晶の形に反映されます。
(問) 言葉の実験でなぜ結晶が言葉の善悪を判断しているように、結晶がきれいになったり醜くなったりするんですか?
(答) 結晶は、善悪を判断しているのではなく、その言葉の波動を表しているだけです。後はそれが美しく見えるかどうかは、見る人の感性しだいです。
あら?いつの間に変わったの?
善悪の判断じゃないんだ?
水に認識する知性のようなものがあるって話はどこ行ったの?
「水は答えを知っている」なんかを参考にしてる人は「善悪判断」の部分を一番取り上げてるわけだけど。
「(善悪について)水は答えを知っている」じゃなかったんだ?
主張がころころ変わるってことはそれを伝えてる人物は正しい答えを知らないわけだ。水は知ってるようなのにねぇ。
じゃぁ、結局、結晶であろうが、ご飯であろうが、整った形とか腐らないとかの結果は、人の想いが伝わることとは関係なく善いも悪いも無いってことですね?
どう見るかは人の感性次第ってことなら、音楽のジャンルとかに波動の良い悪いをあてはめて考えてる人はそもそも間違ってる上に、感性の幅がせまく、程度が低いってことですね。
なるほどね〜、ご飯が腐敗しても腐敗菌と人間が勝手に呼んでる存在が元気で幸せなだけだからな。
人間が飯食って排泄してるのと同じ営みだし。
物事の一面だけを見て、「人を見かけで判断する」「見た目で人に善い悪いのレッテルを貼る」感性は持ちたくないものですね。
波動があったとしてもそれは善い悪いでは無いってことね。
つまり、一番良いのは波動によっての水の結晶やご飯の腐敗の進行や波動そのものも気にするなってことだ。
問) 水に写真を見せたり音楽を聞かせたりする時には、他の情報はいっさい入らない場所で行うのか。たとえば暗室や無音空間を用意するのか?
(答)
ぶっ、いきなり(答)が空白だし。
(問) IHMはどこか特定の宗教と関係があるのか。
(答) IHMは宗教団体ではありません。また、特定の宗教団体とも関係ありません。
「信じれば奇蹟が起きます。皆さん一度信じて祈ってみましょう。」
人はそれを信仰(宗教)と呼びます。
信じれば救われると言いつつ、宗教団体に見られないようにしたいわけですね。
宗教にしてしまうと商売に邪魔なんでしょうか。
ちなみに、信じて祈ってるだけでは何も変わりませんから。何甘えた事を人に勧めてるんですか。
ご飯が炊けて準備ができたら実験を始めてみよう。
今日の続きは、
で。