ニューエイジ四方山話

ふと、ニューエイジに傾倒する友人を思いだした。

(本人は自身でニューエイジだ、なんてことは言ってないが。)



科学や不思議な話を良く知っていて(おそらくK2よりも)話をする機会は多かったのだが、話を進めていくとドンドンわけわからん事にいつもなっていった。



話のとっかかりは科学的な話だったり、SF映画だったりするのだが、いくつかの話をしていると多次元世界や気と言った話にもなり、時として矛盾した部分が出てくる場合がある。

(仕方なく)そこを突っ込むと矛盾点を解決する事無く別の話を出してくる。

(これまた仕方なく)それでも突っ込むと、



「空想のようなものだと思って欲しい。」



となり、さらに話は広がっていき最後は、



「世界すべては自分の夢の中である。」

「夢なのだからどんなことも起こりうる。」




といったことになっていく。

今思えば、これって「波動」なんかが主張してることと同じ思考の方向性なんだと思う。

道徳の教育現場で教師が、あるいは賛同する親が、「波動の効果は認められていない」という反対意見を聞いた時に、



「科学的には証明されてないかもしれないけど、こんな事があったら素敵でしょう?」



と、「波動」を使う間違いを絶対譲らず、固執することと同じじゃないか。

空想で良いならわざわざ商売に使われている「波動」の話を使う必要もまた、まったくないのだが。



その友人は、世界は(自分の)空想の産物と言うわりには映画の科学的シーンには良く文句をつけてたなぁ。自分の主張や夢は矛盾に満ちていても間違いを認めないが、人の夢にはケチをつけるかぁ。(主張通りなら人の夢も自分の夢の中の一部のはずだが。)



K2のニューエイジへのイメージはそういうのが強いかな。

物事をやたらと同じカテゴリーに詰め込むと上手くあてはまる理由を探すだけで結局はまともな答えを出せない。

あてはまったと勘違いするばかりに陥りそうだ。

物事を追求したいなら細かく分けて考えるべきだろう。







書いてる時に、テレビでは「オーラの泉」なんてスピリチュアル系番組のスペシャルを放送している。

占いだの前世だの後からどうとでも取れる話や好きに言い放題で何の判断にもならない話を引き合いに出し、主張者が思う価値観をそれが絶対正しいといった感じでゲストに押しつける、気持ちの悪い番組が増えてきたなぁ。

絶対正しい事の押しつけというのが「スタイル」でしかないんだよなぁ。

本当に正しいならそういう手法を使う必要もないと思うんだが。(と、いうか使うと詐欺的商法との区別が・・・。)