コメントについて

波動テクノロジーさんからコメントを頂きました。



オカルト論議には同様のご意見がよく出ると思いますからブログのトピックとして書くことにします。

コメントへの返答とするには長くなりそうということもあります。

波動テクノロジーさんへの返答以外にもこのご意見に関連してる考えをいろいろ書きます。





波動については、現状の科学では実証も反証もできないので、どちらにせよ、「かもしれない」という姿勢で臨むのが科学的というものでしょう。未知の事象には、あり得ないという「決めつけ」は禁物です。


波動テクノロジー 2007/11/14 9:06 AM





「本当に未知の事象・現象であり、それは現時点の科学知識では判断不可能な事」ならば波動テクノロジーさんが言われるように、「有りえないという決めつけ」ではなく命題に対して”有る・無い・わからない”を対等の位置に置いての判断・スタンスが妥当でしょう。



「波動」に絡む話は、主張者(観測者)が確認できている、という前提(根拠)があるからこその主張でしょう。

現代科学では実証も反証もできないのに「有る」と言い切り、それを利用可能だとする機器・製品の販売をしてる場合もあります。

製品にまで利用可能なほど確認できるのなら商品を販売する前にそれを提示して検証を受けて評価を得れば良いだけです。

簡単な話、主張者は人を納得させるための正しい手順を踏んでないだけです。

ウソ話を用意して人を騙し込もうという意図があるなら手順を踏めないでしょうし、主張者が何かを勘違いして思い込んでいれば手順など考えに至らないのかもしれません。

オカルト(ニセ科学)にはよくある構造の話だと思います。



「主張通りなら根拠が有るハズなのに主張側から”有る根拠”が出されないのだから、”無い”と判断するのが妥当」です。

”無い”という判断(のひとつ)は「主張側から”有る根拠”が出されない」に掛かってるワケですから「有るのか?」「無いのか?」を順序を無視して対等の位置に置いて考えることでは無いです。

一般的には日常生活でも誰かと意見を交わす時、誰かとの何かのトラブルが起きた時などではそのような合理的な手順で対応しようとするハズです。

私のように事態が切迫してやむをえず活動に至る理由などがなければ、判断を保留して「わからない」でも良いと思います。



思考のスタート地点(切り口)が問題になります。

「未知の事象・現象」という主張をその通り受けてスタートの切り口を決めてしまうと「無い」と否定する判断が安易・短絡的・一方的でおかしく見えてしまいます。

「未知の現象である」と前提づけてそこに科学哲学的な方法論を持ち出して折り合いをつけようとすると陥りやすい罠のようなものですね。

議論で”論点ずらし”として使われることがあります。

(意図的で無い場合もあるでしょう。)



その言説通りの物理現象が存在することの確認、何らかの現象があったとしてそれが未知の現象であることの確認、人に伝えるなら根拠の提示、そのような手順がスッ飛ばされて「現象は存在し、それは未知の現象である」と前提づけると、

「科学にとって未知なので現時点の科学では判断不可能なハズ。だから”無い”と判断するのは決めつけであり科学的なスタンスではない」

と切り口の間違いで否定派のスタンスに目が行きやすくなるのではないでしょうか。

そしてそれは自分なりに導き出した答えでもあるので譲りづらく抜け出しづらくなります。

こうして自分の考えに頑なに囚われると「科学によって”無い”と判断されても自分は”有る”と信じる!」と言ったり、日常生活に科学を利用しながら「科学は信頼できない」といった行動と真逆の主張を始めたりすることもあります。

科学の価値が信仰のような個人の心情的価値観とゴチャ混ぜにされ、前提が崩れることのないように思考の無限ループを始めることになります。





波動テクノロジーさんへの返答として、私の科学への支持は私の心情的価値観からでは無いですし、「波動」への否定もまた同様です。

出される成果に対しての支持であり、否定であります。

成果が出されてそれが妥当であるなら応じて支持率は変動します。

誰かが”有る”と信じようが、私が”無い”と決めつけようが、「有る物」は有るし、「無い物」は無いですしね。

どこかで「絶対、有り得ない」という言葉を使ったとしても、私が「一方的に決めつけてるワケではない(そこがスタート地点では無いし、自分の意見の変動を認めないように頑なに考えてはいない)」ことはご理解頂けたのではないかと思いますが、波動テクノロジーさんが「決めつけ」と感じられたとしたら、それはもう、私の文章力の無さや勢い余ってしまった部分があるのでしょう。

それについては誤解を招いてしまって申し訳ありません。









── コメント追記(2010年6月15日) ──
はてなの仕様上他サイトからの移転時にコメント・ログを読み込めなかったため。)



管理者さま。
丁寧なご返答ありがとうございました。やはり少し考え方が異なるようですので、再コメントします。
ある根拠が示せないから「無い」とのお考えのようですが、有る根拠が、示せなくても、無いという解のみとは言えません。無いというのであれば、無い「証拠」を示す必要があります。これが示せない限りは、「かもしれない」という姿勢は必要です。現状科学技術を革新する力は、そういう姿勢で臨むことで、産み出されると思います。

波動テクノロジー 2007/11/26 1:01 PM







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波動テクノロジーさん、こんばんは。
K2です。




> 無いというのであれば、無い「証拠」を示す必要があります。


「有る」とする主張側より先に「無い」とする証明をする必要はありません。
「(有る事の証明の必要性を横に置いて)無い事の証明が必要である」と言う主張は正当性に欠けるとされます。
悪魔の証明」という言葉が代表的に使われます。
(必ずあてはまる、というわけでは無く状況にもよります。)


検証が積み重ねられ一定の評価や妥当性を持つ「有るとする根拠」が出ているにも関わらず、「無い」と言うなら「無いとする根拠」を出す必要があるでしょう。


波動テクノロジーさんが、これをお知りなのかはわかりませんが関連がありそうなので取り上げてみました。
(「悪魔の証明」とか「オッカムの剃刀」といった話はこれもまた安易に使いやすく間違いに陥りやすいと思うので個人的にはあまり使いたくないと思ってますけれどね。)
お知りでない場合は、よく出てくる言葉ではありますので調べていただければ、使われる意味や間違った扱い方になりやすい事などいろいろ見つかると思います。


ご参考までに。
Wikipedia
悪魔の証明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E


(2)へ続きます。

K2 2007/11/27 1:00 AM







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「”有る”という正当な根拠や評価が有るのに”無い”という意見を何がなんでも譲らない」といった頑なな状態でしたら問題となる可能性がありますが、それについては応じて変動をするというスタンスをお話しました。
「検証も行われて未知の現象であると確定した(あるいは何らかの現象の存在の確認はされたが不確定)」の場合はニュートラルなスタンスが妥当であるとし、波動の主張はその場合に当てはまってないといった事も書きました。
(注:そのまま同じ文章ではありません。)
(波動には当てはまらないですが他にも状況としては「まだ確認はされてないが既存の科学理論と整合性が有り理論から現象の存在が予測される場合」などもあるでしょうね。)


波動テクノロジーさんがそれでもなお「先に出されるべき、有ると主張する側からの根拠の提示」といった必要不可欠な手順ではなく、私のスタンスという的を外した話に固執するのがなぜなのかは、「悪魔の証明」や類似な話に該当する、あるいは波動テクノロジーさんの心情から、といった理由以外ではよくわかりません。

K2 2007/11/27 1:01 AM







こんにちは。
波動については、何も現象としての根拠が全く無いわけではなく、なかなか共通した条件が見い出せないところでの観測なので、いつでも示せる現象があまり無いところが難しいところだと思います。ただ、そんな状態だからといって、根拠無し=そんなもの無しとしてしまうと、その先に進歩の素があっても、気付かずに終わってしまいます。それでは、大変もったいないことです。ここは、少しでも現象が観測されれば、究明するべきであり、初めから無いといってはいけないところでしょう。私としても、何も現象が無いのに、有るのでは?とは思いませんが。波動については、例えば、二次元世界の住人が三次元世界を認識できないことと似ていると思います。三次元の存在を主張しても、根拠レスとして受け入れられない。だが、存在している。いかがでしょうか。

波動テクノロジー 2007/11/27 1:02 PM







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波動テクノロジーさん、こんばんは。
K2 です。


やはり「(現象は)有る」というお考えのお話なのですね。
往々にして「(有る)かもしれないと考えるべき」というご意見は実際はニュートラルな立場では無く「有る」へと繋がってる事が多いのでそれが根底にあるのではないかと思っておりました。


既存の科学と対立する話というだけではなく、(まだ)明確で無い事を明確になったとして扱うから「ニセ科学」と呼ばれたりします。




> ここは、少しでも現象が観測されれば、究明するべきであり、初めから無いといってはいけないところでしょう。


「無い」という結論(決めつけ)がスタート地点ではありません、といったことも書きましたよ。
「無い」とする意見を見かけた時に常に「はじめから〜」と捉えるなら、(その時点において)「無い」という判断に妥当性(正当性)があったとしても「有る」や「(有る)かもしれないとするべき」から抜け出せないでしょう。


納得されない事に対して「有るのに」と言い続けたり、「絶対(100%)、無いと言えるのか?」という事にこだわるのでは無く、人が認識をするためにはどのような手順を取るべきなのか、ということが大事です。
仮に、実際に存在が有ったとしても認められない手順を取ってるなら認められなくても仕方ありません。
現象の再現が非常に困難で、データも揃わず提示することも難しく、既存の理論との対立も解消できてないのなら、観測者当人ですらまともに観測・検証ができてない事が予想されますし、「無い」と判断される事があっても仕方ありません。
それを受け止めて、やがて明らかに証明できるように努力を続けることが先に必要です。
テーマによっては何年、何十年、何百年もかかるかもしれませんが、それを飛ばしてビジネスとしたりすると当然ながら良い評価は得られないでしょう。


波動テクノロジーさんが自身の観測体験などから「有る」や「有るかもしれない」と考えるなら、手順を踏まえて研究されていけば良いのではないでしょうか。


(2)へ続きます。

K2 2007/11/27 11:44 PM







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> 動については、例えば、二次元世界の住人が三次元世界を認識できないことと似ていると思います。
> 次元の存在を主張しても、根拠レスとして受け入れられない。だが、存在している。いかがでしょうか。


不可知である事柄をどうやって認識したのかという根本的におかしな説になりやすいと思います。
せいぜい、時折何らかの要因である時点において結びつき認識できる場合がある、とか、稀に認識できる性質を持つ人や認識可能にする媒体が存在する、といったよくありがちな空想・妄想を抜け出ない話の方向性にしかならないのではないでしょうか。


創作的空想として見るなら、ありがちだけど不変的なネタだと思います。

K2 2007/11/27 11:45 PM







初めまして。
ぜひ応援の一言を伝えたかったのですがここでよかったでしょうか?
管理人さんと同じ考えを持つ、大学4回生です。電気・通信系なので、あまりにひどいニセ科学は見破れるつもりです。


僕もオカルトというかまだ解明されていない科学が好きで、特に右脳や無意識の働きに興味を持っています。


今日少し面白い、聴力に関する商品を見つけて、その5万円という価格におどろいて同じページで扱っている商品を見たところ、アルファジーニアスという何ともふざけた商品を見つけまして・・
1万円のコンセントです。


本当にあきれました。人を科学で騙して稼ごうなんて最低だと思います。


長くなってしまいましたが、このページを見て勇気付けられました、力を抜きつつ、頑張ってください。


波動に関してはあまり詳しくその理論を読んだことがないのですが一つ言いたいことは、
自然の法則が全て人間に都合の良いように働くと思うな
という事ですね。

通りすがりです 2008/01/08 3:31 AM







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通りすがりです さん、コメントありがとうございます。
K2 です。
ご返事が遅くなりました。


応援ありがとうございます。
(忙しさでなかなか時間も取れず活動も止まったままなので心苦しいですけど。)


七田式のように脳関係の話にも波動は絡むことがあります。
どこにでも絡み付きます。
オカルト波動の源流は100年ほど昔に生まれていますが、自称研究者達が未だにまともな手順を踏まえず商品販売などをしてる事を考えるべきだと思います。
テーマに対して真面目であるなら、支持者こそそれを許せない事だろうと思うのですが。


”未知の現象”というのはとても興味を惹かれることです。
それを謳い文句にしたビジネスは昔からたくさん有り、人間には思い込みからの勘違いや錯誤体験を通して実感してしまうこともあるので、まともに検証もないモノに安易に当てはめたりしないように気をつけたいものです。

K2 2008/01/09 6:12 PM