言葉の足ふきマット

北海道の知り合いが言う。

「四国の霊場八十八ヶ所巡り お遍路さんが北海道で誕生だとよ。江原啓之須藤元気なんかの影響もあって盛り上がってるらしいが、ふざけるな!!

面白い事のヒトツだって自ら探し出せない奴が、北海道に来たって、せいぜい自然を汚して帰るのが落ちだ。

胸クソ悪くなって来るほどの生理的嫌悪感が沸いて来る。

北海道にキモイ連中を呼ぶな!!」






「水の結晶」もそうなんだけど「ありがとう(良い言葉)」を言おうってのは言葉の偶像化なんだよね。単語に神的・悪的をあてはめてそれを拝んでるわけだ。

勝手にあてはめて考えるなら何でも言いわけなんだけど、その「何か」を自分で考えられない人がゾロゾロとホイホイの中に入っていく。

抜け出せなくてもしばらくは身の回りに呼び込み用のエサがあるから食いつなげるし、元々小難しい事が嫌いで簡単でわかりやすい事にしか動かない連中だからホイホイの外へ出れないのは平気なのだろう。

ホイホイの外を歩いてる人に、

「こっちはいいよ〜、エサがあるし危険は無いし幸せになれるよ〜。」

とホイホイの中から呼びかける。



憐れみの目。

個人差はあってもやがてカサカサになっていくのが脳裏に浮かぶ。

もしくは死ぬまでホイホイの中か、だ。

言葉を偶像化すると言っても「良い」部分を取り上げてるだけの話で、実際は単語には様々な面があるわけだ。一面だけを都合よく持ち上げてるに過ぎない。

結局はどんな言葉でも価値は同じだ。





暖かくなってきて小さいのがチョロチョロ目についてくるようになった。

ホイホイ類を台所に仕掛けておいた事を思い出した。

そろそろ中を見てみるか。



まったく入ってない。



う〜む、やはり足ふきマットとか付いてる奴の方が効果があるのだろうか。

それとも「ありがとう」と書いておけばかかってくれるかなぁ。

キモイのがかかりそうだ。





ついでに「波動注意報」の「日本の恥」をいじってみたりする。

う〜ん、文章を多くすると見づらいかなぁ。